東京地方裁判所 昭和33年(合わ)250号 判決 1958年12月25日
被告人 安藤昇 外一三名
主文
被告人安藤昇を懲役八年、
被告人志賀日出也を懲役七年、
被告人千葉一弘を懲役六年、
被告人久住呂潤を懲役弐年、
被告人花形敬を判示第一の二の殺人未遂幇助罪につき懲役壱年六月、判示第六の一の監禁罪、第七の一の暴力行為等処罰に関する法律違反罪及び判示第八の銃砲刀剣類等所持取締令違反罪につき懲役壱年、
被告人浅井立成を懲役弐年六月、
被告人小笠原郁夫を懲役壱年、
被告人瀬川康博を判示第三及び第五の各二の賭博場開張図利幇助罪、第六の一の監禁罪、第七の一の暴力行為等処罰に関する法律違反罪、第七の三の銃砲刀剣類等所持取締令違反罪、第十一の四の暴行罪及び第十一の五の傷害罪につき懲役壱年六月、判示第十一の一の恐喝罪、第十一の二の暴力行為等処罰に関する法律違反罪及び第十一の三の器物毀棄罪につき懲役八月、
被告人森田雅、同石井福造を各懲役四年、
被告人木村良隆を判示第六の二の監禁罪につき懲役四月、判示第十二の一、二の暴行罪及び第十二の三の監禁罪につき懲役六月、
被告人井下繁治、同小林菊雄、同小森茂を各懲役四月、
に夫々処する。
未決勾留日数中被告人安藤昇、同千葉一弘、同浅井立成に対してはいずれも六拾日、被告人志賀日出也に対しては百弐拾日、被告人小笠原郁夫に対しては五拾日、被告人森田雅に対しては参拾日を右各刑に算入し、被告人花形敬の判示第一の二の罪の刑については六拾日、被告人瀬川康博の判示第十一の一ないし三の罪の刑については五拾日、被告人木村良隆の判示第十二の一、二、三の罪の刑については六拾日を夫々算入する。
但し、本裁判確定の日から被告人久住呂潤に対しては参年間、被告人井下繁治、同小林菊雄、同小森茂に対してはいずれも弐年間右各刑の執行を猶予する。
押収したブローニング三十二口径拳銃壱挺(昭和三三年証第一〇一〇号の一)、三十二口径用実包五発(同証号の二)を被告人安藤昇、同志賀日出也、同千葉一弘、同久住呂潤、同花形敬、同浅井立成、同小笠原郁夫からコルト四十五口径拳銃壱挺(同証号の三)、レミントン四十五口径拳銃弐挺(同証号の四及び五)、四十五口径用実包弐拾六発(同証号の六)を被告人安藤昇、同志賀日出也、同小笠原郁夫から、寺袋壱枚(昭和三三年証第一三八五号の一)、上鋲五拾七本(同証号の四)、サラシ製袋壱枚(同証号の五)、ポーカーチツプ弐拾五個(同証号の六)、盆布壱枚(同証号の七)を被告人安藤昇、同小笠原郁夫、同浅井立成、同瀬川康博、同志賀日出也から、レミントン第一四六一三一二号拳銃壱挺(昭和三三年証第六五一号の一)を被告人花形敬から、ライフル十七連発猟銃壱挺(同証号の二)を被告人森田雅、同瀬川康博、同石井福造、同花形敬から夫々没収する。
訴訟費用中証人志賀節朗、同大野茲律に支給した分は被告人安藤昇、同志賀日出也、同千葉一弘、同久住呂潤、同花形敬、同浅井立成の連帯負担、証人榎本公一、同日山正照に支給した分は被告人安藤昇、同花形敬、同森田雅、同石井福造、同木村良隆、同井下繁治、同小林菊雄、同小森茂の連帯負担、証人高橋岩太郎、同宮崎武夫、同金田覚に支給した分は被告人安藤昇、同花形敬、同森田雅、同石井福造、同木村良隆、同井下繁治、同小林菊雄、同小森茂、同瀬川康博の連帯負担、証人伊藤良子に支給した分は被告人瀬川康博、同森田雅、同石井福造、同花形敬の連帯負担、証人渡部生子、同斉藤千城、同岡田恭四郎に支給した分の各五分の弐は被告人森田雅、同石井福造の連帯負担、国選弁護人尾中勝也、同三条商太郎、証人島峰敏雄、同長谷川都美子に支給した分は被告人志賀日出也の負担、証人大西英子、同白須八重子、同鈴木敏子、同雨宮千江子、同竹之内英雄に支給した分及び証人嶋田忠男(昭和三一年刑わ第八七八号事件第四回公判関係で昭和三十一年七月三日支給分のみ)、同渡辺輝雄、同田中務に支給した分の各弐分の壱は被告人瀬川康博の負担、証人有賀由松、同有賀由起子に支給した分は被告人木村良隆の負担とする。
被告人瀬川康博に対する公訴事実中昭和三十一年四月四日附起訴に係る監禁の事実については、被告人瀬川康博は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
第一、被告人安藤昇は映画製作、興業、不動産売買の仲介等を業とする株式会社東興業の社長であつて、渋谷の繁華街に地盤を有し、賭博場開張から上る寺銭によつて生活する博徒で、世人から暴力団と目されているいわゆる安藤組の親分、被告人志賀日出也は東興業赤坂支社長であつて、被告人安藤に忠実でその指示は必ず実行したので、同被告人からの信頼が特に厚かつたもの、被告人久住呂潤は東興業の専務取締役であつて、判示第六記載のように安藤組と露店商武田組との紛争の際の監禁事件で被告人安藤及びその配下の者多数が検挙され、東興業が潰滅状態に陥つたとき、被告人安藤から懇請されて同社再建の業務責任者として入社し、同社の健全なる発展のために全力を傾注していたもので、思慮深く事に当つて慎重なところから被告人安藤より全幅の信頼を受けていたもの、被告人花形敬は東興業の幹部社員であつて、以上三名はいずれもいわゆる安藤組の幹部と目されていたもの、被告人浅井立成、同千葉一弘は共に東興業の社員であつて、被告人志賀のいわゆる舎弟として安藤組の身内であつたものである。
一、被告人安藤は知人元山富雄から、蜂須賀智恵子の東洋郵船株式会社社長横井英樹に対する債権二千万円の取立に赴く際同伴してもらいたい旨頼まれるや、安藤組の勢威を利用し右債権の取立を成功させようと考えてこれを承諾し、昭和三十三年六月十一日午後四時過頃右元山及び知人熊谷成雄と共に東京都中央区銀座八丁目一番地第二千成ビル八階の東洋郵船株式会社に赴き、元山から前記債務の履行方を請求した際、右横井において元山の申出に容易に取り合おうとしないのみか、被告人安藤を指して「こんな話の判らない連中を連れて来ては困る。」等と云つた上、「俺に威圧を加える気か、ここは俺の事務所だ、出て行け。」等と強い語調で被告人安藤の退去方を要求したことにいたく憤慨し、席を蹴つて右熊谷を促して同都渋谷区上通り一丁目八番地青山ビル三階の東興業本社に帰つたものの、右のように横井から手痛く面罵されてかつてないほどの強い屈辱を感じて憤懣に堪えず、このままでは安藤組の威信も地に堕ちるというように考え、その報復のため右横井を拳銃で狙撃しようと決意し、急遽、前記のように信頼して一旦事あるときに備えて拳銃を保管させていた被告人志賀を、同都港区赤坂田町三丁目六番地の東興業赤坂支社から呼び寄せ、右経緯を話して決意のほどを打ち明けたところ、同被告人においても被告人安藤の気持を了承し、腹心の被告人千葉をして拳銃で横井を狙撃させることを約したが、被告人安藤及び同志賀は或は後に残つた元山において横井からの誠意ある回答をもたらすのではないかと待つていたところ、間もなく帰つて来た元山から横井は毎月五万円位ならば払つてもよいと言つている旨の報告を受けるや、いよいよ激昂して横井狙撃の即時決行を決定した。そこで被告人志賀は直ちに前記赤坂支社に帰り、同所にいた被告人千葉に対してことの経緯と被告人安藤の気持を伝え、言外に拳銃で横井を狙撃するようほのめかしたところ、被告人千葉においては被告人志賀の意のあるところを悟つてその決行を承諾し、ここに被告人安藤、同志賀、同千葉は順次共謀の上、拳銃で横井を狙撃すれば或はその急所に命中して生命を奪うに至るかも知れないことを十分認識しながら、それも己むを得ないとして拳銃で同人を狙撃しようと企て、被告人志賀、同千葉において折柄前記赤坂支社を訪れた被告人久住呂、同花形及び同浅井と共に志賀節朗の運転する自家用乗用自動車に乗つて同所を出発し、途中同区麻布本村町五十一番地の被告人志賀の自宅に立ち寄つて、同所に保管してあつた実包六発を装填したブローニング三十二口径拳銃一挺(昭和三三年証第一〇一〇号の一及び二)を持ち出した上、前記第二千成ビル附近に到つて下車し、被告人志賀において同ビル入口附近まで被告人千葉を見送り、被告人千葉において同日午後七時二十分頃単身同ビル八階の東洋郵船株式会社に赴き、案内も待たず社長室に立入り、折柄同室において来客と用談中の横井の左斜前約一米の地点まで進み、携行した前記拳銃を同人に突きつけ「お前が横井か」と云うや否や一発発射して同人の左上膊部・左側胸部等に命中させ、よつて同人に対し外傷性出血性シヨツク、左上膊部貫通及び左側胸部右上腹部盲貫銃創の傷害を負わせたが、殺害の結果を生じなかつた。
二、被告人久住呂は前同日前記東興業本社において執務中、東洋郵船株式会社から帰つた被告人安藤から前記横井との交渉の経過を話された上、憤懣に堪えないので報復手段をとる旨打明けられるや、極力その短慮を戒め、これが慰留に努めたが、同被告人がそんなに止めるなら事務所を閉めてしまう等と云つて益々激昂するので、已むを得ずそのまま引退つたものの、被告人久住呂としてはこの際被告人安藤が一時の感情のままに大事を引起すにおいては、漸く発展の緒のついたばかりの東興業の健全な事業に致命的な打撃を与え、自分等が今まで築いて来た努力の結晶が水泡に帰するに至ると痛く憂え、被告人志賀において同本社を出発したのを知るや、これは被告人安藤の命を受けて横井を狙撃すべく出かけたものと察し、何とかしてそれを阻止しようと考え、折柄同本社にいた被告人花形及び同浅井に事情を打明けて相談したところ、同被告人等もこれに同意したので、共に前記赤坂支社に赴いて被告人志賀及び同千葉に会い、被告人志賀に対し、「東興業が漸くここまで発展して来たのに、今事件を起せば元も子もなくなる、おやじ(被告人安藤の意)には俺が坊主になつて謝まるから何とか止めて貰いたい。」等と云つて情理を尽して犯行の中止方を懇請し、被告人花形においても「そんなことをやれば、結局社長(被告人安藤の意)にまで累が及んでとんでもないことになる。」等と云つて犯行に反対し、被告人浅井もまたこれに同調した。しかし既に犯行の決意を固めていた被告人志賀は、「初めておやじが怒つたのに俺達のことばかり云つてはおれない。それでは余りに意気地が無さすぎるではないか。」等と云つてこれを受けつけず、暗に被告人久住呂等の弱腰を非難するような態度に出たため、被告人安藤の配下たる被告人久住呂等としては敢えてこれ以上被告人志賀の意見に反対することができなくなつてしまつたものの、被告人久住呂としてはことを小さく済ますことを考え、被告人志賀に対し「横井の右肩を射つて確実に傷害に止めようではないか。」と云い、更に「『安藤組のものだ、よくもおやじに恥をかかせたな。』という口上を云つて、横井を一、二発ぶん殴ることにしたらどうか。」等と提案したが、これも被告人志賀及び千葉の決意を動かすには至らなかつたので、被告人久住呂、同花形及び同浅井としてはもはや事の成行に任せるの已むなきに至り、被告人千葉において横井を拳銃で狙撃するにおいては、或は横井の生命を奪うに至ることもあるかも知れないことを認識しながら、それも已むなしと考え、被告人志賀の誘いに応じて同日午後七時頃同被告人及び被告人千葉と共に志賀節朗の運転する自家用乗用自動車に乗り前記第二千成ビル附近まで同行して、被告人千葉の行を壮にして被告人千葉をはげまし、且つ被告人久住呂においては右自動車が新橋駅附近から第二千成ビル附近に到るまでの間、運転手志賀節朗にその経路を指示し、もつて被告人安藤、同志賀及び同千葉の前記一記載の犯行を容易ならしめてこれを幇助した。
第二、
一、被告人小笠原郁夫は、法定の除外事由がないのに昭和三十三年五月二十六日頃東京都港区赤坂一ツ木町二十三番地吉川恵三方二階の自室において、ブローニング三十二口径拳銃一挺(昭和三三年証第一〇一〇号の一)、コルト四十五口径拳銃一挺(同証号の三)及びレミントン四十五口径拳銃二挺(同証号の四及び五)並びに三十二口径用実包六発(内五発は同証号の二)及び四十五口径用実包二十六発(同証号の六)を所持していた。
二、被告人安藤昇及び同志賀日出也は共謀の上、法定の除外事由がないのに昭和三十三年五月二十七日頃から同年七月三十一日までの間、東京都港区麻布本村町五十一番地並びに同都世田谷区三宿二十五番地の被告人志賀の自宅等において、前記第二の一記載の拳銃合計四挺及び実包合計三十二発を所持していた。
三、被告人千葉一弘は、法定の除外事由がないのに昭和三十三年六月十一日前記第一の一記載の東洋郵船株式会社等において、前同記載のブローニング三十二口径拳銃一挺及び三十二口径用実包六発(前同証号の一及び二)を所持していた。
第三、
一、被告人安藤昇は昭和三十三年二月二十七日午後十一時頃から翌二十八日午前六時頃までの間、東京都渋谷区代々木初台六百八番地旅館「みやこ別館」(支配人持田栄)において、賭博場を開張し元山富雄等約十名の賭客を集め、花札を使用して俗に「バツタ撒き」と称する賭銭博奕をさせ、同人等から寺銭名義の下に金銭を徴して利を図つた。
二、被告人小笠原郁夫、同瀬川康博及び同浅井立成は、被告人安藤の前記第三の一記載の犯行に際し、前同日前同所において交替でいわゆる仲盆の役を担当し、もつて被告人安藤の前記第三の一記載の犯行を容易ならしめてこれを幇助した。
三、被告人志賀日出也は被告人安藤の前記第三の一記載の犯行に際し、前同日前同所において前記第三の二記載の被告人小笠原郁夫等が行つたいわゆる中盆の監督等をし、もつて被告人安藤の前記第三の一記載の犯行を容易ならしめてこれを幇助した。
第四、
一、被告人安藤昇は昭和三十三年五月八日午後十一時頃から翌九日午前七時頃までの間、前記「みやこ別館」において賭博場を開張し堀口秀真等約十名の賭客を集め、花札を使用して俗に「バツタ撒き」と称する賭銭博奕をさせ、同人等から寺銭名義の下に金銭を徴して利を図つた。
二、被告人小笠原郁夫及び同浅井立成は、被告人安藤の前記第四の一記載の犯行に際し、前同日前同所において交替でいわゆる中盆の役を担当し、更に被告人浅井は雑用等もつとめ、もつて被告人安藤の前記第四の一記載の犯行を容易ならしめてこれを幇助した。
三、被告人志賀日出也は被告人安藤の前記第四の一記載の犯行に際し、前同日前同所において前記第四の二記載の被告人小笠原郁夫等が行つたいわゆる中盆の監督等をし、もつて被告人安藤の前記第四の一記載の犯行を容易ならしめてこれを幇助した。
第五、
一、被告人安藤昇は趙春樹と共謀の上、昭和三十三年六月九日午後十一時頃から翌十日午前三時頃までの間、神奈川県足柄下郡箱根町湯本六百八十二番地旅館「天成園」(経営者上杉鳥)において、賭博場を開張し外山正等約十名の賭客を集め花札を使用して俗に「バツタ撒き」と称する賭銭博奕をさせ、同人等から寺銭名義の下に金銭を徴して利を図つた。
二、被告人小笠原郁夫、同浅井立成及び同瀬川康博は、被告人安藤及び趙の前記第五の一記載の犯行に際し、前同日前同所において交替でいわゆる中盆の役を担当し、更に被告人浅井は雑用等もつとめ、もつて被告人安藤及び趙の前記第五の一記載の犯行を容易ならしめてこれを幇助した。
三、被告人志賀日出也は被告人安藤及び趙の前記第五の一記載の犯行に際し、前同日前同所において前記第五の二記載の被告人小笠原郁夫等が行つたいわゆる中盆の監督等をし、もつて被告人安藤及び趙の前記第五の一記載の犯行を容易ならしめてこれを幇助した。
第六、
一、昭和三十二年三月十日午前零時頃安藤組身内の榎本公一が酔余武田一郎を中心とするいわゆる武田組の配下の者に屋台店を壊したため、榎本と同道していた同じく安藤組身内の日山正照が東京都渋谷区大和田町十八番地武田一郎方に連行されるという事態が生じ、これを知つた被告人安藤昇、同花形敬、同瀬川康弘、同石井福造等は同区宇田川町八十番地渋谷会館地階のトリスバー「地下街」(経営者黄江夏)において協議の上、事を穏便に解決すべく謝罪のため安藤組の幹部花田暎一を前記武田一郎方に赴かせた。ところが右花田は却つて武田等に暴行された挙句武田方に監禁されるに至り、一向に被告人等の待つている前記「地下街」に戻つて来ないので、被告人等は花田の身の上を案じて前後策を講じていたところ、同日午前一時頃武田組配下の宮崎武雄(当時二十七年)及び金田覚(当時四十六年)が同店に姿を現わし、これを被告人石井が見咎めた。そこで被告人等は右宮崎等の挙動等から同人等が被告人等の状況を偵察に来たものと考え、前記日山が武田方に抑留され、謝罪に行つた前記花田も未だ帰つて来ない折柄、この際武田組との紛争を有利に解決する手段として右宮崎及び金田を抑留監禁しようと企て、被告人安藤昇、同花形敬、同瀬川康博、同石井福造、同井下繁治、同小林菊雄、同小森茂は安藤組配下の池田某外数名と共謀の上、右宮崎及び金田を同店の奥座敷に掛けさせて取囲み、被告人安藤において右両名にビールを勧めながら「武田組との問題が解決するまで、いて貰いたい」旨云い、もし右要求に応じなければ右両名の生命身体にどのような危害を加えるかも知れないような態度を示して右両名を畏怖させ、以て右両名の行動の自由を束縛し、次いで同日午前二時過頃武田組の襲撃を避けるため、被告人井下、同小林、同小森等において右両名を同所から同区上通り三丁目二十番地バー「ドール」(経営者清水滋雄)に連行し、同店入口に施錠した上被告人小林等において脱出を防ぐための監視をし、更に同日午前三時頃被告人花形の指示により被告人小林、同小森等において、右両名を同所から武田組との出入りに備えて身内の者が多数集合している同区円山町二十七番地料亭「立花」(経営者伊藤蓮雄)に連行し、被告人花形、同瀬川、同井下、同石井等が待機している同家奥座敷の間の隅に座らせ、其後同家に来た被告人安藤の指示によりこれを同家菊の間に移したが、この間被告人小林、同小森等において右両名の脱出を防ぐためその身辺で監視をし、或は武田組の襲撃及びこれに伴う右両名の奪還更には右両名の脱出を防ぐため同家屋外の見張に立ち、被告人花形、同瀬川において右両名に対し拳銃を見せつける等の行為をし、よつて同日午前一時頃から午前十一時頃までの間約十時間にわたり右宮崎及び金田の退去を不能ならしめて前記三ヶ所に監禁した。
二、被告人森田雅及び同木村良隆は自宅で就寝中前記載のように武田組との紛争が生じたことを知らされ、前同日午前三時頃急遽前記「立花」に赴いたが、同所において前記武田組配下の宮崎武雄及び重田覚が既に監禁されているのを見るや、前記被告人安藤、同花形、同瀬川、同石井、同井下、同小林、同小森その他安藤組配下の者数名と犯意を共通にして、被告人森田において被告人木村、同小林等に対し武田組の襲撃及びこれに伴う右宮崎等の奪還更には同人等の脱出を防ぐための見張を命じ、被告人木村においてこれに応じ被告人小森等と交替で同家屋外の見張に立ち、よつて同日午前三時頃から午前十一時頃までの間約八時間にわたり、右宮崎及び金田の退去を不能ならしめて前記「立花」に監禁した。
第七、
一、前記第六の冒頭に記載したように安藤組身内の花田暎一が武田一郎方に監禁された際、衣類等を遺留して来たため、昭和三十二年四月四日被告人花形において武田方に対してその返還を請求したところ、武田方では言を左右にしてこれに応じなかつたので、激怒して武田組配下の横山昭一を殴打したことから、武田組はその報復として翌五日午前二時頃安藤組の集合場所である前記第六の一記載の料亭「立花」及びトリスバー「地下街」を襲撃してガソリンを撒いた。かような不穏な情勢を聞知した被告人花形敬、同森田雅、同瀬川康博及び同石井福造は、同日午前三時頃東京都渋谷区美竹町三十八番地ナイトクラブ「ラミー」(支配人桐島慶二)に集り、他の安藤組の幹部等と共に対策を協議したのであるが、武田等が花田の衣類を返さないのみか、安藤組を襲撃しようとしていることに憤激の余り、武田一郎及びその家族等を脅迫するため武田方に実弾を射ち込もうということを決定したものの、その実行者が決らないうちに、被告人瀬川においていきなり右「ラミー」前に駐車していた被告人森田の乗用自動車フオードの中から同被告人所有のライフル十七連発猟銃(昭和三三年証第六五一号の二)を取り出し、安藤組の乗用車キヤデラツクを自ら運転して武田方に向つたので、同被告人を援護して右企図を完遂さすべく被告人花形、同石井も谷脇某等と共に被告人森田の運転する前記フオードでそのあとを追い、両自動車は共に同区大和田町十八番地武田一郎方附近に到り、被告人森田、同石井は自動車の傍で警戒の任に当り、被告人花形は谷脇某と共に被告人瀬川を援護すべく同被告人に追随し、被告人瀬川は前記猟銃を携帯して単身、安藤組の襲撃を怖れてこれを避けるため全家不在中の右武田方入口附近に赴き、入口の扉に向けて右猟銃で実弾三発を発射してこれを射抜き、同日午前六時三十分頃司法警察員の実施した実況見分の際に立会つた武田一郎の妻武田町子をして右扉の弾痕に気付かしめ、同女自身及びその夫武田一郎等の生命、身体に対し安藤組の者等からどのような危害を加えられるかも判らないというように畏怖させて脅迫し、もつて配下多数を有する安藤組の威力を示して脅迫した。
二、被告人森田雅は、法定の除外事由がないのに昭和三十一年十二月頃から昭和三十二年五月末頃までの間東京都世田谷区下馬一丁目十三番地錬心館内の自宅等において、ライフル十七連発猟銃一挺(昭和三三年証第六五一号の二)を所持していた。
三、被告人瀬川康博は、法定の除外事由がないのに昭和三十三年四月五日午前三時頃前記第七の一記載の武田一郎方前路上において、前記第七の二記載の森田雅所有のライフル十七連発猟銃一挺を所持していた。
第八、被告人花形敬は、法定の除外事由がないのに昭和三十二年五月二十二日頃東京都渋谷区栄通り一丁目富国ビル内の株式会社東興業事務所において、レミントン第一四六一三一二号拳銃一挺(昭和三三年証第六五一号の一)を所持していた。
第九、
一、被告人石井福造は安藤組の幹部であるが、昭和三十三年二月十七日午前零時頃東京都渋谷区上通り三丁目十四番地バー「ロジータ」において、配下の牧野昭二から、同人がかねて被告人石井等においてその横暴な態度に強い反感を抱いている、同組の幹部花形敬に理由もなく殴打されたので、憤懣の余り同人を殺害したい旨訴えられるや、拳銃を所持しており且つ花形に対して同じく反感を抱いている、同組の幹部被告人森田雅に相談しようと考え、右牧野を伴つて同日午前一時頃同都世田谷区玉川用賀町一丁目四百三十二番地の被告人森田方に赴いた。そこで被告人石井、同森田は折柄同所に来ていた被告人森田の配下である高梨正義及び吉岡潔並びに右牧野と共謀の上、この際平素の憤懣を晴らすため右牧野をして花形を殺害させようということを決め、被告人森田において鈴木英一に隠匿保管させていたブローニング三十二口径拳銃一挺(昭和三三年証第五九七号の一)を取り寄せて右牧野に貸与し、且つ右高梨及び吉岡に対して、花形の居所を確めて右牧野に連絡すること及び結果を見届けて報告することを命じ、被告人石井において右拳銃の使用法を右牧野に教えた上、同人を送つて同都渋谷区上通り三丁目二番地富士食堂(支配人天野勇一)まで赴き、同日午前三時二十分頃右牧野において同区宇田川町七十六番地バー「どん底」前路上で前記バー「ロジータ」から出て来た花形に対し、前記拳銃をもつて実弾三発位を発射して同人の左手部及び左腹部に命中させたが、治療約四月を要する左腹部及び左手部貫通銃創、左腸骨翼骨折並びに左第二、三指骨折の傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げなかつた。
二、被告人森田雅は牧野昭二と共謀の上、法定の除外事由がないのに昭和三十三年二月十七日東京都渋谷区宇田川町七十七番地先路上等において、ブローニング三十二口径拳銃一挺(昭和三三年証第五九七号の一)及び実包約七発(内四発は同証号の二)を所持していた。
第十、被告人志賀日出也は
一、東京都渋谷区中通り三丁目六十番地飲食店「小菊」の経営者島峰敏雄において、かねて被告人が渋谷界隈の不良であることを熟知し、容易にその意に逆えない有様であるのに乗じ、同人から金員を喝取しようと企て、昭和二十五年一月十九日頃右島峰に「今まで自分も店のために尽してきたのに貴方の態度はけしからぬ、今後売上金を折半しろとさえ云いたいが、貴方の立場も尊重して四分六分の割合でこれを分配しよう、これが承知できなければ店はもうおしまいだ」という趣旨の書面を情を知らない長谷川都美子に届けさせて閲読させ、更に翌二十日頃右「小菊」において同人に対し「昨日の手紙を読んだか、どうしても四分は要る、何も云わずに四分をくれ」と云い、右要求に応じなければ同人の営業にどのような妨害を加えるかも知れないような態度を示して同人を畏怖させ、よつて同日から同月二十三日頃に至る間数回にわたり同店において、右島峰から売上金分配名義の下に現金合計約二千五百円の交付を受けてこれを喝取した。
二、東京都渋谷区宇田川町七十五番地社交喫茶店「姉妹(シスター)」の支配人大野篤生においてかねて被告人の粗暴な振舞に恐れを抱いているのに乗じ、同人から金員を喝取しようと企て、
(一) 昭和二十六年一月十日頃の夜右「姉妹」裏路上に同人を呼び出し、同所において同人に対し「関西に旅に出るから二千円貸してくれ、又兄弟分が警察にあげられているので差入れに金が要るから千円貸してくれ」と云い、右要求に応じなければ同人の身体若しくは右「姉妹」の営業にどのような危害、妨害を加えるかも知れないような態度を示して同人を畏怖させ、よつて即時同所において同人から貸借名義の下に現金三千円の交付を受けてこれを喝取した。
(二) 同月十六日頃の夜前記「姉妹」にいた前記大野篤生に「三軒茶屋の大将が出て来たので金が要るから三千円貸してくれ」という趣旨の書面を使者に届けさせて閲読させ、更に同日同所に赴き同人に対し前記同様の態度を示して同人を畏怖させ、よつて即時同所において同人から貸借名義の下に現金三千円の交付を受けてこれを喝取した。
三、兄弟分の稲葉一利において八王子市の居住のいわゆる的屋宮本組の若衆に斬られたことに憤激し、昭和三十二年四月九日午前零時頃東京都中央区銀座一丁目五番地日本興業短資ビル三階興業師中久喜源重の事務所において、折柄関根頼司等によつて同所に監禁されていた前記宮本組身内の小林秋義、筒井教善及び西山健二の各右手中指先に焼火箸を順次押しつけ、よつて右三名に対しいずれも治療約四週間を要する右中指端火傷を負わせた。
第十一、被告人瀬川康博は、
一、単一の犯意の下に昭和三十年十月十六日頃東京都新宿区歌舞伎町八百七十七番地特殊飲食店「いづみ」において、経営者大西英子から金員を喝取しようと企て、同女に対しカウンターを叩いて、「おい金を貸せ、何のために商売をしているんだ、貸さなければ頭を丸坊主にしてやる」等と怒鳴り、右要求に応じなければ同女の身体及び営業にどのような危害・妨害を加えるかも知れないような態度を示して同女を畏怖させ、よつて即時同所において同女から現金千円の交付を受けてこれを喝取した外、同月二十二日頃、同年十一月五日頃及び同月二十一日頃の三回にわたり、右「いづみ」において前記のようなことから被告人に脅威を感じていた右大西英子に対し「金を貸せ」と要求し、前同様の態度を示して同女を畏怖させ、よつてその都度同所において同女から現金合計四千円の交付を受けてこれを喝取した。
二、昭和三十一年三月十三日午後二時過頃東京都墨田区緑町一丁目十七番地磧上義光方二階において、懇意な間柄にあつた宮武実が、さきに同人もその経営に関係している親和商会の宮崎順之において、田中務に対し手形割引による金融斡旋方を依頼して預けておいた額面十二万五千円の約束手形一通を、右田中が他に流用し、数回にわたる督促にもかかわらずその解決を遷延しているのに憤激して、長さ約三尺の木刀をもつて右田中の頭部等を殴打しているのを目撃するや、右宮武に助勢すべく、犯意を共通して右田中に対し、「殺して隅田川へ捨ててしまうぞ。」と怒鳴り、その頭部、肩部、腰部等を右木刀で十数回殴打し、又その面前で日本刀を引抜いて「この野郎、耳を切つてしまうぞ。」等と申し向け、宮武においてもその間右田中の頭部等を数回足蹴にし、もつて数人共同し、兇器を示して脅迫し且つ暴行を加えた。
三、昭和三十一年四月中旬頃の午前四時頃東京都新宿区歌舞伎町八百七十七番地先路上におでんの屋台を出していた白須八重子方の店先において、同女が煙草ピース一個を正価四十円にかかわらず五十円で販売したことに憤慨し、両手でカウンター上にあつた同女所有の皿二個、グラス三個等を払いのけて道路上に落下破壊させ、もつてこれを損壊した。
四、昭和三十一年五月二十九日午前四時三十分頃東京都新宿区歌舞伎町八百五十七番地特殊飲食店「川端屋」(経営者川端金次郎)において、酔余たわむれて、寝ていた同家娘の蒲団をめくろうとしたところ、同店の女給鈴木敏子からたしなめられたり、又同女の指先がたまたま被告人の顔面に触れたのを手で突かれたように解したりして憤激し、同女の頭髪を掴んで引張り又手でその頸部を数回殴打し、もつて暴行を加えた。
五、昭和三十一年六月十四日午後十時三十分頃東京都新宿区歌舞伎町五百六番地特殊飲食店「宮古」(経営者雨宮千代子)前路上及び同店内において、さきに被告人のいわゆる舎弟分であつた竹之内英雄に対し、同人が「宮古」の従業婦を他店に住みかえさせたこと等について難詰しているうち激して、手拳で同人の頭部、顔面部等を十数回殴打し、よつて同人に対し治療約五日を要する左前頭部打撲傷を負わせた。
第十二、被告人木村良隆は
一、昭和三十二年九月十四日頃の午後九時頃東京都渋谷区宇田川町の路上で有賀由起子(当時十六年)の姿を認めるや、それまで一面識もなかつた同女を無理に誘つて喫茶店やバーに伴つた上、更に同行を求めたところ拒まれたので同女を自己の意に従わせるため、同日午後十時三十分頃同町八十番地喫茶店「シヤルマン」(経営者横井年)附近路上において同人の腹部を手拳で一回殴打し、更に犯意を継続して同日午後十一時三十分頃同区上通り三丁目十四番地第一銀行渋谷支店附近路上において同人の腹部を手拳で数回殴打し、もつて暴行を加えた。
二、昭和三十二年十月二十日午後八時頃東京都渋谷区宇田川町の路上でたまたま前記有賀由起子に再会するや、同女が前記一記載の暴行について警察官に事情を訴えたことを怒り、同町十番地キヤバレー「純情」(経営者北井道夫)附近路上において、同人の腹部を手拳で数回殴打し、もつて暴行を加えた。
三、昭和三十二年十月二十一日午前零時三十分頃前記有賀由起子を東京都渋谷区代々木深町千六百六十六番地所在アパート内の被告人の居室に連行し、同室出入口に施錠した上、同所において同人の腹部を手拳で数回殴打し「俺から逃げようとしたつて駄目だ、もう少し待つていろ。」等と云い、もしこれに応じなければ同人の身体にどのような危害を加えるかも知れないような態度を示して同人を畏怖させ、よつて同日午前五時三十分頃までの間約五時間にわたり同人の行動の自由を束縛して退室できないようにし、もつて監禁した。
(証拠の標目)(略)
(弁護人の主張に対する判断)
被告人森田の弁護人は、被告人森田の前判示第六の二の監禁の所為は、当時既に武田一郎方に監禁されていた花田暎一の生命、身体、自由に対する現在の危難を避けるための已むを得ない行為であり、緊急避難行為として罪とならない旨主張し、又被告人瀬川の弁護人は、被告人瀬川は前判示第十一の三の犯行当時チクロパン注射又は飲酒酩酊のため心神喪失若しくは耗弱の状態にあつたものである旨主張するが、花田暎一が武田方に監禁されていた事実があるにしても、だからといつて被告人森田の右犯行が刑法第三十七条第一項にいわゆる已むことを得ざるに出でたる行為といえないことは明らかであり、被告人瀬川の判示第十一の三の事実に対する前掲各証拠並びに昭和三一年刑わ第二〇六二号等事件第九回公判調書中証人中山千枝子の供述記載部分によれば、被告人瀬川は右犯行当時是非善悪を弁識し、これに従つて行為し得る能力が全く欠け、若しくはこれが著しく減弱した状態にはなかつたものと認められるので、弁護人の右各主張はいずれもこれを採用しない。
(累犯となるべき前科)
被告人志賀日出也は、昭和二十一年十二月十八日東京地方裁判所において恐喝、傷害、公務執行妨害罪により懲役一年四月に処せられ、昭和二十四年八月十一日右刑の執行を終えたもの、
被告人花形敬は、(一)昭和二十八年四月十四日東京地方裁判所において傷害、傷害致死罪により懲役三年に処せられ、昭和三十一年六月九日右刑の執行を終え、(二)昭和二十八年十一月五日同裁判所において強要、住居侵入罪により懲役一年に処せられ、昭和二十九年八月九日右刑の執行を終え、(三)昭和三十二年一月十日同裁判所において傷害罪により懲役八月に処せられ、同年十二月三日右刑の執行を終えたもの、
被告人瀬川康博は、昭和二十五年十二月二十八日東京地方裁判所において恐喝、強姦、強姦致傷罪により懲役四年に処せられ、昭和二十九年八月十三日右刑の執行を終えたもの、
被告人森田雅は、昭和二十五年十月十八日東京地方裁判所において恐喝罪により懲役十月に処せられ(昭和二七年政令第一一八号により懲役七月十五日に減刑)、昭和二十八年十二月三十一日右刑の執行を終えたもの、
被告人石井福造は、昭和三十年七月三十日東京地方裁判所において傷害罪により懲役六月に処せられ、同年十二月二十六日右刑の執行を終えたもの、
であつて、右は被告人志賀に対する検察事務官三田隆義作成の昭和三十三年八月八日附前科調書及び法務省矯正局指紋係作成の同年十一月二十五日附指紋照会回答書、被告人花形に対する検察事務官宮岡承司作成の同年八月八日附前科調書及び法務省矯正局指紋係作成の同年七月十二日附指紋照会回答書、被告人瀬川に対する検察事務官宮岡承司作成の同年十月八日附前科調書及び法務省矯正局指紋係作成の昭和三十一年三月三十日附指紋照会回答書、被告人森田に対する検察事務官穂刈進作成の昭和三十三年五月十二日附前科調書及び法務省矯正局指紋係作成の昭和三十二年六月十八日附指紋照会回答書、被告人石井に対する検察事務官宮岡承司作成の昭和三十三年十月二十八日附前科調書及び法務省矯正局指紋係作成の同年三月六日附指紋照会回答書によつて夫々これを認める。
(確定裁判)
被告人花形敬は、昭和三十二年一月十日東京地方裁判所において傷害罪により懲役八月に処せられ、右裁判は同年六月二十二日確定したもの、
被告人瀬川康博は、(一)昭和三十一年三月三十一日東京中野簡易裁判所において職業安定法違反罪により罰金一万五千円に処せられ、右裁判は同年五月五日確定し、(二)昭和三十三年六月三十日同裁判所において道路交通取締法違反、同法違反幇助、重過失傷害罪により罰金一万五千円に処せられ、右裁判は同年七月三十日確定したもの、
被告人森田雅は、昭和三十二年八月七日東京地方裁判所において傷害、監禁罪により懲役八月に処せられ、右裁判は昭和三十三年五月二十日確定したもの、
被告人木村良隆は、昭和三十二年七月二十四日東京地方裁判所において公務執行妨害罪により懲役十月、三年間執行猶予の裁判を受け、右裁判は同年八月八日確定したもの、
であつて、右は被告人花形に対する検察事務官宮岡承司作成の昭和三十二年八月八日附前科調書、被告人瀬川に対する同検察事務官作成の同年十月二十八日附前科調書、被告人森田に対する同検察事務官作成の同日附前科調書及び被告人木村に対する検察事務官穂刈進作成の昭和三十二年十月三十一日附前科調書によつて夫々これを認める。
(法令の適用)
法律に照らすと、被告人安藤、同志賀、同千葉の判示第一の一、被告人森田、同石井の判示第九の一の所為はいずれも刑法第二百三条、第百九十九条、第六十条に、被告人久住呂、同花形、同浅井の判示第一の二の所為はいずれも同法第二百三条、第百九十九条、第六十二条第一項に、被告人小笠原の判示第二の一、被告人安藤、同志賀の判示第二の二、被告人千葉の判示第二の三の所為中、拳銃所持の点はいずれも銃砲刀剣類等所持取締法第三条第一項、第三十一条第一号罰金等臨時措置法第二条(被告人安藤、同志賀の所為については更に刑法第六十条)に、実包所持の点はいずれも火薬類取締法第二十一条、第五十九条第二号、罰金等臨時措置法第二条(被告人安藤、同志賀の所為については更に刑法第六十条)に、被告人安藤の判示第三ないし第五の各一の所為はいずれも刑法第百八十六条第二項(第五の一の所為については更に同法第六十条)に、被告人小笠原、同浅井の判示第三ないし第五の各二、被告人瀬川の判示第三及び第五の各二、被告人志賀の判示第三ないし第五の各三の所為はいずれも同法第百八十六条第二項、第六十二条第一項に、被告人安藤、同花形、同瀬川、同石井、同井下、同小林、同小森の判示第六の一、被告人森田、同木村の判示第六の二、被告人木村の判示第十二の三の所為はいずれも同法第二百二十条第一項第六十条(但し被告人木村の判示第十二の二の所為については第六十条を除く)に、被告人瀬川、同森田、同石井、同花形の判示第七の一の所為はいずれも暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項、刑法第二百二十二条第一項、第二項、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、被告人森田の判示第七の二、第九の二、被告人瀬川の判示第七の三、被告人花形の判示第八の所為はいずれも銃砲刀剣類等所持取締令第二条、第二十六条第一号、(被告人森田の判示第九の二の所為については更に刑法第六十条)、銃砲刀剣類等所持取締法附則第九項、罰金等臨時措置法第二条に、被告人森田の判示第九の二の実包所持の点は火薬取締法第二十一条、第五十九条第二号、罰金等臨時措置法第二条、刑法第六十条に、被告人志賀の判示第十の一及び二の(一)、(二)、被告人瀬川の判示第十一の一の所為はいずれも刑法第二百四十九条第一項に、被告人志賀の判示第十一の三、被告人瀬川の判示第十二の五の各所為はいずれも同法第二百四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、被告人瀬川の判示第十一の二の所為は暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項、刑法第二百八条、第二百二十二条第一項、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、被告人瀬川の判示第十一の三の所為は刑法第二百六十一条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、被告人瀬川の判示第十一の四、被告人木村の判示第十二の一、二の所為はいずれも刑法第二百八条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に各該当するところ、判示第二の一ないし三、第九の二の各所為中拳銃及び実包の所持はいずれも一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五十四条第一項前段、第十条によりいずれも重い拳銃所持の刑をもつて処断すべく、所定刑中判示第一の一、二、第九の一の各罪についてはいずれも有期懲役刑、判示第二の一ないし三、第九の二の拳銃所持の罪及び判示第七の一ないし三、第八、第十の三、第十一の二ないし五、第十二の一、二の各罪についてはいずれも懲役刑を選択し、
被告人安藤の判示第一の一、第二の二の銃砲刀剣類等所持取締法違反、第三ないし第五の各一及び第六の一の各所為は、刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により最も重い判示第一の一の殺人未遂罪の刑に同法第十四条の制限に従つて併合罪の加重をした刑期範囲内で、被告人安藤を懲役八年に処する。
被告人志賀の判示第一の一、第二の二の銃砲刀剣類等所持取締法違反、第三ないし第五の各三及び第十の各所為中、第三ないし第五の各三の賭博場開張図利幇助の罪については各刑法第六十三条、第六十八条第三号により従犯の減軽をし、第十の一及び二の(一)、(二)の恐喝の各所為は前示前科と累犯の関係にあるので、各同法第五十六条第一項、第五十七条により累犯加重をし、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により最も重い判示第一の一の殺人未遂罪の刑に同法第十四条の制限に従つて併合罪の加重をした刑期範囲内で、被告人志賀を懲役七年に処する。
被告人千葉の判示第一の一の殺人未遂及び第二の三の銃砲刀剣類等所持取締法違反の各所為は、刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により重い判示第一の一の殺人未遂罪の刑に同法第四十七条但書の制限に従つて併合罪の加重をした刑期範囲内で、被告人千葉を懲役六年に処する。
被告人久住呂の判示第一の二の殺人未遂幇助の所為については、刑法第六十三条、第六十八条第三号により従犯の減軽をした刑期範囲内で、被告人久住呂を懲役二年に処すこととし、犯情刑の執行を猶予するを相当と認め、同法第二十五条第一項を適用して本裁判確定の日から三年間、右刑の執行を猶予する。
被告人花形の判示第一の二、第六の一、第七の一、第八の各所為中、判示第一の二の殺人未遂幇助の所為は前示(一)、(二)、(三)の前科と、その他の所為は前示(二)の前科と夫々累犯関係にあるので、各刑法第五十六条第一項、第五十七条(判示第一の二の罪と(二)、(三)の前科については更に同法第五十九条を適用し、第一の二の罪については同法第十四条の制限に従つて)累犯加重をし、判示第六の一の監禁、第七の一の暴力行為等処罰に関する法律違反及び第八の銃砲刀剣類等所持取締令違反の各所為は、前示確定裁判を経た罪と同法第四十五条後段の併合罪の関係にあるから、同法第五十条に従い未だ裁判を経ていないこれらの罪につき更に処断することとし、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により最も重い判示第六の一の監禁罪の刑に併合罪の加重をした刑期範囲内で被告人花形を懲役一年に処し、判示第一の二の殺人未遂幇助の所為については同法第六十三条、第六十八条第三号により従犯の減軽をした刑期範囲内で、被告人花形を懲役一年六月に処する。
被告人浅井の判示第一の二及び第三ないし第五の各二の所為については、各刑法第六十三条、第六十八条第三号により従犯の減軽をし、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により最も重い判示第一の二の殺人未遂幇助罪の刑に併合罪の加重をした刑期範囲内で、被告人浅井を懲役二年六月に処する。
被告人小笠原の判示第二の一の銃砲刀剣類等所持取締法違反、第三ないし第五の各二の各所為中、第三ないし第五の各二の賭博場開張図利幇助の各所為については各刑法第六十三条、第六十八条第三号により従犯の減軽をし、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により最も重い判示第二の二の銃砲刀剣類等所持取締法違反の罪の刑に併合罪の加重をした刑期範囲内で、被告人小笠原を懲役一年に処する。
被告人瀬川の判示第三及び第五の各二、第六の一、第七の一及び三並びに第十一の一ないし五の各所為は、いずれも前示前科と累犯の関係にあるので、各刑法第五十六条第一項、第五十七条により累犯加重をし、第三及び第五の各二の賭博場開張図利幇助の所為については各同法第六十三条、第六十八条第三号により従犯の減軽をし、判示第十一の一の恐喝、第十一の二の暴力行為等処罰に関する法律違反、第十一の三の器物毀棄の各所為は前示(一)の確定裁判を経た罪と、その余の各所為は前示(二)の確定裁判を経た罪と夫々同法第四十五条後段の併合罪の関係にあるから、同法第五十条に従い未だ裁判を経ていないこれらの罪につき更に処断することとし、以上は夫々同法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条本文、第十条により判示第十一の一ないし三の罪については最も重い判示第十一の一の恐喝罪の刑、その余の罪については最も重い第十一の五の傷害罪の刑に夫々同法第十四条の制限に従つて併合罪の加重をした刑期範囲内で、判示第十一の一ないし三の罪については懲役八月、判示第三及び第五の各二、第六の一、第七の一及び三、第十一の四及び五の罪については懲役一年六月に各処する。
被告人森田の判示第六の二、第七の一及び二並びに第九の一、二の各所為は、いずれも前示前科と累犯の関係にあるので、各刑法第五十六条第一項、第五十七条により(第九の一の罪については同法第十四条の制限に従つて累犯加重をし、右は前示確定裁判と同法第四十五条後段の併合罪の関係にあるから、同法第五十条に従い未だ裁判を経ていないこれらの罪につき更に処断することとし、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により最も重い判示第九の一の殺人未遂罪の刑に同法第十四条の制限に従つて併合罪の加重をした刑期範囲内で、被告人森田を懲役四年に処する。
被告人石井の判示第六の一、第七の一及び第九の一の各所為は、いずれも前示前科と累犯関係にあるので、各刑法第五十六条第一項、第五十七条により(第九の一の罪については同法第十四条の制限に従つて)累犯加重をし、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により最も重い判示第九の一の殺人未遂罪の刑に同法第十四条の制限に従つて併合罪の加重をした刑期範囲内で、被告人石井を懲役四年に処する。
被告人木村の判示第六の二及び第十二の一、二及び三の各所為中、判示第六の二の監禁の所為は前示確定裁判を経た罪と刑法第四十五条後段の併合罪の関係にあるから、同法第五十条に従い未だ裁判を経ていないこの罪につき更に処断することとし、所定刑期の範囲内で被告人木村を懲役四月に処し、判示第十二の一、二、三の各所為は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により最も重い判示第十二の二の監禁罪の刑に併合罪の加重をした刑期範囲内で、被告人木村を懲役六月に処する。
被告人井下、同小林、同小森の判示第六の一の監禁の所為については、所定刑期範囲内で被告人井下、同小林、同小森を各懲役四月に処すこととし、犯情刑の執行を猶予するを相当と認め、同法第二十五条第一項を適用して本裁判確定の日からいずれも二年間右各刑の執行を猶予する。
刑法第二十一条を適用して未決勾留日数中被告人安藤、同千葉、同浅井に対して各六十日、被告人志賀に対して百二十日、被告人小笠原に対して五十日、被告人森田に対して三十日をいずれも右各本刑に算入し、被告人花形に対する懲役一年六月の刑については六十日、被告人瀬川に対する懲役八月の刑については五十日、被告人木村に対する懲役六月の刑については六十日を夫々算入し、押収してあるブローニング三十二口径拳銃一挺(昭和三三年証第一〇一〇号の一)は判示第一の一、二の犯行に供し、且つ判示第二の一ないし三の各犯行を組成したもの、三十二口径実包五発(同証号の二)は判示第一の一の犯行に供せんとし、且つ判示第二の各犯行を組成したもの、コルト四十五口径拳銃一挺(同証号の三)、レミントン四十五口径拳銃二挺(同証号の四及び五)、四十五口径用実包二十六発はいずれも判示第二の一及び二の犯行を組成したもの、寺袋一枚(昭和三三年証第一三八五号の一)、上鋲五十七本(同証号の四)、サラシ製袋一枚(同証号の五)、ポーカーチツプ二十五個(同証号の六)、盆布一枚(同証号の七)はいずれも判示第三ないし第五の各一ないし三の犯行に供し又は供せんとしたもの、レミントン第一四六一三一二号拳銃一挺(昭和三三年証第六五一号の一)は判示第八の犯行を組成したもの、ライフル十七連発猟銃一挺(同証号の二)は判示第七の一の犯行に供し、且つ判示第七の二及び三の犯行を組成したものであり、以上はいずれも犯人以外の者に属さないから、同法第十九条第一項第一号(犯行を組成したものにつき)、第二号(犯行に供し又は供せんとしたものにつき)、第二項を適用して主文第四項掲記のように各被告人からこれを没収することとし、訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項本文、第百八十二条(連帯負担につき)、第百八十一条第一項本文(単独負担につき)に従い、主文第五項掲記のように各被告人にこれを負担させることとする。
なお本件公訴事実中、被告人瀬川康博が宮武実と共謀の上、昭和三十一年三月十三日午後二時半頃から同日午後五時頃迄の間東京都墨田区緑町一丁目十七番地磧上義光方二階において、田中務に対し暴行、脅迫し、同人をして同所から脱出不可能の状態に置きもつて監禁したとの点については、証拠によれば、判示第十一の二記載のように同被告人が磧上義光方二階で宮武実において田中務を木刀をもつて殴打しているのを目撃するや単に宮武を助勢する意思をもつて同人と共同して田中務に対し暴行、脅迫したものであることを認め得るに過ぎないのであつて、予め同被告人と宮武との間に判示約束手形に関する紛争が解決するまで田中を磧上方二階に監禁しようと共謀し、又は同被告人において宮武の意を汲み同人と共同して田中を右磧上方二階に監禁しようとの意思の下に田中に対し前記のような暴行、脅迫に出たものであるとはこれを認めるに足る証拠が十分でなく、且つ右事実は前記判示暴力行為等処罰に関する法律違反の事実とは併合罪の関係にあるとして起訴されたものと認められるから、刑事訴訟法第三百三十六条に則り右事実については同被告人に対し無罪の言渡をする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 伊達秋雄 清水春三 松本一郎)